lake2017 の休憩所

英語・音楽・探偵小説・SF・社会情勢等ゆるく書いていきます。

アカデミック・ディベートに関する個人的考察 (その 1)

lake 氏は大学時代 ESS でディベートをやっていました。卒業後も含め 3 学年に対して教育活動もしていました。それらの経験から感じたことを何回かに分けてつらつらと書いてみたいと思います。


1. ディベートは対立を煽るものではない
これは世間から一番誤解されているところです。実際、ゲームとしてのアカデミック・ディベートは肯定側/否定側に分かれて行われるわけですが、「審判」もしくは「聴衆」の存在が重要であることは案外理解されていません。単純化すればアカデミック・ディベートとは「肯定側・否定側の双方が論陣を張り、第三者(審判もしくは聴衆)を説得するゲーム」なのです。したがって、議論を聞いている人に不快感を与えるような論法は NG です。現実のラウンドがどうなっているかは別として、本来は極めて礼儀正しく行われるべきものなのです。


2. ディベートは勝てばいいというものではない
アカデミック・ディベートはその性質上勝敗をつけるゲームとして行われますが、勝つために何をしてもいいというものではありません。最近は審判をしていないので傾向がわかりませんが、私が 30 歳手前ぐらいの頃のディベーターには不必要と思われる議論を大量に提出して論点をわからなくしてしまう選手がたくさんいました。これ、個人的には間違っていると思います。ディベーターの仕事は論点を整理し、聞いている人にわかりやすく提示することです。ですので、立論では両サイドそれぞれせいぜい 3 つぐらいの論点を詳細に説明し、反駁で既出の議論を検討・比較し、分析を深めるように努力すべきです。聞いている人が正しい判断ができるように、審判/聴衆の頭の中に肯定/否定の両サイドでシステムを作り上げるのです。ある友人から「ディベート経験者は論点をずらしてでも自分の意見を通そうとする」といわれたことがあります。私にすればその「自称ディベーター」は学生時代に何を学んでいたのかと思います。もしそのディベーター氏に会う機会があったら 2 〜 3 時間説教することになるでしょう。


他にも書いておきたいことがありますが、そろそろ仕事に戻らないといけないので、本日はここまで。では失礼いたします。