lake2017 の休憩所

英語・音楽・探偵小説・SF・社会情勢等ゆるく書いていきます。

他者とのコミュニケーションにおいてルッキズムはノイズにしかならない

lake2017

さあ困った。「文筆の神」(要するに執筆意欲)がタイトルのフレーズだけ残して去って行きました。多分何かを書けということなんですが、どこから切り込みましょうか。神様が残していったお題をちょっと真面目に語ってみます。


ふと思いついたのが、前職で中堅職員向けに1か月間合宿の研修を受けたときのこと。一緒に研修を受けていた女性と夕食後の懇親会で3時間ほど盛り上がりました。会話の内容は覚えていませんが、知的レベルが高い割にそれをひけらかすわけでもなく、非常に聡明な人物だという印象を受けました。が……。


「あんな女のどこがいいんだ?」という私と同じ地方で採用された同期の男性たちが揶揄するように言ってきました。私は混乱しました「へ、何が問題?」。どうも当該女性の外見が彼らの基準に達していないということのようでしたが、そんなものこっちにどんな関係が、と思いました。


とはいえ、当時の私は30そこそこ、職場の同調圧力にピリピリしていた頃だったので、その女性とはその後接点もなく、研修は終わりました。でも……。


これって正しかったのか?と今頃になって思うわけです。内心相手をもっと知りたいという欲求があったはずなので、まわりの意見など無視して、「相手の内面を掘り下げるべし」という自分の直感こそ信じるべきではなかったのかと。そういう意味で、外見にこだわってちゃんとコミュニケーションをとらないのは愚かだと思う。ルッキズム的なものは人と人がちゃんとわかり合う上で不必要なノイズに過ぎないのでしょう。


ふと、高校時代の片思いの相手のことを思い出すのですが、私は決して彼女の外面だけを愛していたわけではありません。彼女の笑顔と話してみるとちょっと気さくな性格に惹かれていたはずです。


だから「外見にこだわること」はおそらく物事の本質を判断することを邪魔するのではないかと感じています。もっと、とらわれない視点を持たなければ、と。

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