思考ブースターとしてのAI
みなさんこんにちは。先日抜歯をしてそれ以来体調がイマイチのlakeです。誤魔化しながら生きております。
今日はちょっと挑戦的な文章を書いてみたいと思います。名付けて「思考ブースターとしてのAI」であります。誤解を招く可能性があるので、最初に説明しておきます。「思考ブースター」とは「思考を軽くして効率良くするもの」ではありません。むしろ「思考を深くし、複雑な問いを連想的に想起させるもの」です。発想はむしろ遠回りになるかもしれません。その辺りをご考慮に入れていただいた上でお読みください。
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「思考代替装置」としてのAIの危険性
「思考代替装置」としてAIを使って行った時、人間は何かを放棄していきます。頭脳による思考そのものです。その結果、主体性・倫理・創造性が損なわれ、怠惰につながる可能性があります。この辺りについてみていきましょう。
主体性:AIによりそれらしい文章が自動的に出力されるので、自分が書いたという実感が失われる。
倫理:AIが権威を持つと錯覚し、出力を絶対的な物だと考える。その結果成果物に対する責任がいい加減になる。
創造性:AIによるそれらしい出力で満足してしまい、実験的な表現をやめてしまいます。
これらによる結果は長期的には文化の空洞化を招く可能性があります。このような状況を避けるためには何が必要かです。
「思考の摩擦」
思考を深めるのに必要なのは、思考を軽くすることではなく、思考に摩擦を与えることだと思います。自分の考えたことに対してメタ的にチェックを行い、さらに問い続けるという姿勢が必要になってくるのではないでしょうか。ただ、自分の思考を眺めるだけで、外部刺激がない場合は袋小路に入る可能性があります。これに対してどういう対策を取るかです。
「思考に負荷をかける装置としてのAI」
最終成果の生成装置としてではなく、思考に摩擦を与える装置としてAIを使用できないでしょうか。AIの出力は正しいとは限りません。また、何らかのバイアスがかかっている可能性もあります。だから視点をずらしながら、AIに問い続けるのです。もやもやしてくるかもしれませんが混乱してきたわけではありません。むしろ思考が立ち上がってきているのです。この時思考はブーストされます。
「創作/執筆の鏡としてのAI」
別のエントリでも書きましたが、AIを読者として設定することにより創作や執筆の鏡となります。そうすることにより「人力による執筆→AIによる批評→人力による改稿」のループが生まれます。人間の主体性や創造性が失われることはありません。
「思考をブーストするとは?」
誤解を招く可能性があるので整理します。「思考をブーストすること」は:
・機械に思考を代替させることではなく
・AIと対話することで「問い」を増幅する
ということです。つまり、疲れないAIを相手に無限に「問い」を投げ続けることなのです。そうすることにより思考はより深く、複雑になっていきます。
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なお、「思考ブースター」としてのAIは人間に時短や効率化を与えません。むしろ、思考を重くすることによって遠回りになったように感じられる可能性があります。それでもこういう使い方をすべきなのは、人間が人間であることをやめないためです。AIを完全に否定しているわけではありません。「自分で考える」ことの素晴らしさをもう一度考えてみませんか。